★★★ 北京の思い出の写真   1984年9月  ★★★
第二の青春時代の思い出 「回想」
★盧溝橋には民族学院から、バスを3回乗り換えて出かけた。
★永定河の堤で一休み、
   
★盧溝橋の石碑、
   
★欄干にある、獅子を数えながら、歩く。
   
★盧溝橋の欄干にある、獅子を数えながら、歩いていたら、上流の京広線に  貨物車が、、。何か小さいとき見た風景に、、、。
★盧溝橋を渡り切ると、後ろにある牌に「外国人は許可なく、入る事を禁止」
  とある。 当時は、北京でも未開放地区はかなりあった。
★外国に来ているようには思えない、おばあさんの実家に遊びに行った
  ような、、、。日本人と言ったって、家系図があるわけではないし、普通では
 五,六代も遡れれば御の字、、。
★天安門の獅子の前で、友人の弟と
  
 私が中国に持っていったスーツは3着あったが、特にこの白で
ストライプのスーツは目立ちすぎた。

 友人の弟が、車で学校に迎に来て、このスーツを見た時の表情、、。
 
★太和門の獅子の前で、友人の弟と
★故宮の九龍壁で
★結局このスーツは彼にあげた。
★左側は北京美術館の王さんとウイグル族のマイマイティ 
  美術館の事務室に行ったら、勤務中なのに編み物をしていた。

  しばらく話していたら上司が、友遠方より来る。2.3日休暇をあげるから案内してあげたら、だと、、。大釜飯とは、、こうゆうコトカ。  

  写真は彼女の寮の前:北京台基厂で
★東単の理髪店にパーマをかけにいった。外国人と言うので、老師傳「師匠」
  がやってくれたが、ロット巻きがへたで、、、、いたたた、、、。
★と言うわけで、彼女に代わってもらった、、。それで、ピース。
★ウイグル族のマイマイティは私に似て、わりと軟派で、何人か女性を紹介してくれたが、好みはちょっと違った。そんな彼は卒業後、新疆ウイグル自冶区和田「ホータン」の幹部となった
★ウイグル族のウルブは、逆に硬派で卒業後、新彊ウイグル自冶区
ウルムチテレビ局に入った。
★人民大会堂の前で、共産党高級幹部の息子と、、。
  
  冷蔵庫をやるからもっていけ、、て、、。

   民族学院には確かになかったけど、

    そんなものいらない、、。
★北京駅からお出かけ、、。出かけるには特急汽車がメインだが、
  それでも行く場所が8時間位と言うと、、、近いじゃん、、去吧、去吧、去吧。
 一番長く乗ったのは、北京からウルムチまで当時、特急で3泊4日。

  今は一番早い特急が33時間46分「1日半」 走行距離約 3100km
  時差は昔も今も変わらず2時間
★八達嶺長城で
★八達嶺長城で
★明の十三陵で
★彼は中国科学院より1979年、山梨大学に研究生として留学に来ていて
  知り合う。
★奥さんと子供2人 一人っ子政策が始まったのは1979年から
★姉さんと弟 弟さんは優秀で、北京大学に入学したそうで、
★八大処公園の一角で

八大処は北京の西郊にある公園で、その名は8つの寺があるところからきている。現存する名寺は隋唐から明清までのもので、うち霊光寺は釈迦牟尼の仏牙を安置する舎利塔があるため特に有名で、長安寺の古松と三山庵のイチョウは800年の樹齢を持ち、大悲寺の18羅漢像は白檀や香砂を材料として作られ、700年経った現在も香りを漂わせている。毎年重陽の節句には、山野の景色を楽しみ紅葉狩りをする遊山会が恒例の行事となっている。

★前門外大柵欄内にある同仁堂に日本の友人に頼まれた、
毛生え薬を買いに言った
  

★同仁堂は、清代の康熙8年(1699年)に開業し、生薬、丸薬、散薬、膏薬、錠剤などの各種漢方薬を扱っており、堅実な材料選びやよく研究された薬の調合、充実した種類によって、世に知られている。

 

★帰りに喫茶店で、一服。 飲んでるのは花茶「ジャスミン茶」
  日本ではウーロン茶が流行り出したそうだが、福建の一部以外では
  すべて花茶。 コーヒーを飲みたければ、北京飯店の1階で、、、。