品番:04053
品名:女武将木彫り面
サイズ:約:横11cm 縦16cm 厚8cm  
材質:木製 
価格
¥2000「税込」
※木彫り「木は中国南部にある龍眼木の堅い木です」、大分以前の物ですので、傷、割れが有ります
、この武将は女性で、楊門女将です
 

楊門女将の内容は下記に
 

いつの時代でも何処の国家でもそうだが、ふだん社会の甘い汁を吸っているエリートや特権階級は、国が危機に瀕したとき、必ずしも勇敢には戦わない。むしろ「二級市民」や庶民のほうが、純粋な愛国心をもち、血と汗を流して戦う傾向がある

楊家は、昔の日本で言えば武士にあたる世襲軍人の一族である。もともと楊一族は、宋の敵国だった北漢の忠臣であったが、宋が北漢を併合し、中国を統一したあと、楊家軍も宋軍の一部に編入された。宋の皇帝は楊一族を信頼したが、高級官僚や職業軍人たちは楊一族の人気に嫉妬し、その卓越した武力を警戒した。楊一族は、いわば外様(とざま)であり、二級市民であった。

 楊家の男たちは、祖国・宋のために、勇敢に戦ったが彼らは、常に二つの敵と戦わねばならなかった。眼前の外国軍と、背後の宋国内の嫉視である。初代の楊業(?−986。楊継業ともいう)とその息子たちは、宋軍の先鋒として、異民族である遼(りょう)の軍隊と勇敢に戦ったが、彼らを嫉妬する宋軍の司令官の策謀によって死地に送られ、無念の最後を遂げた。

   生き残った楊家の男たちは、それでも、祖国のため、民の平和を守るために、戦場へと向かった。男たちが次々に戦死すると、未亡人や娘たちが女だてらに武器を手にとり、その志を継いだ。彼女たち「楊門女将」の中心となったのは、楊業の未亡人と、楊業の孫の嫁である穆桂英(ぼくけいえい)であった。