品番:NAN-19 
品名:中国古代四代美女・卓上屏風
サイズ:高24cm横7.5cm *4枚
  広げ具合は 約28cmが最適
材質:硬化樹脂
価格:¥4.800「税込」在2


【古代中国四大美人】(楊貴妃・西施・貂蝉・王昭君)を描いたミニ屏風です。

前面

中国古代四代美女・卓上屏風 中国雑貨


後面 古代中国四大美人の解釈



中国古代四代美女の解釈 ・卓上屏風 中国雑貨





【古代中国四大美人】の解釈

揚貴妃(ようきひ・唐)

中国唐代の皇妃。姓は楊、名は玉環。貴妃は皇妃としての順位を表す称号。玄宗皇帝の寵姫。玄宗皇帝が寵愛しすぎたために安史の
乱を引き起こしたと伝えられたため、傾国の美女と呼ばれる。当時の美女の基準からして実際は豊満な女性であった。
また、音楽や舞踊に多大な才能を有していたことでも知られる。

【貴妃酔酒】とは、 中国の京劇の演目。唐の玄宗皇帝より,百花亭で酒宴を開くことを命ぜられた楊貴妃は,
用意万端ととのえて待っていたが,皇帝は急に梅妃のいる西宮に行く先を変えられたと知らせが入る。
心の懊悩もだしがたく,側に仕える高力士と裴(はい)力士を相手に酒を飲み,飲むほどに酔うほどに胸の愁いは深まるばかり,
覚えず大酔する。盃をふくんで折腰の舞をするのがヤマで,京劇中の代表的な舞踊劇の一つ。



西施(せいし・春秋時代)

本名は施夷光。 現代に広く伝わる西施と言う名前は、出身地である苧蘿村に施と言う姓の家族が東西二つの村に住んでいて、
彼女は西側の村に住んでいたため、西村の施→西施と呼ばれるようになった。

越王勾践が、呉王夫差に、復讐のための策謀として献上した美女たちの中に、西施がいた。
貧しい薪売りの娘として産まれた施夷光は谷川で洗濯をしている姿を見出されたといわれている。
策略は見事にはまり、夫差は彼女らに夢中になり、呉国は弱体化し、ついに越に滅ぼされることになる。

彼女が川で洗濯をする美姿に見とれて魚達は泳ぐのを忘れてしまったという俗説から【西施浣紗】とあてられる。



貂蝉(ちょうせん・後漢)

小説『三国志演義』に登場する架空の女性。実在の人物ではない。貂蝉は幼い頃から才能が秀で、容姿が美しく、
細柳のような立ち居振る舞い、聡明優雅で、傾国傾城の美人でした。15歳で、選抜され宮廷に入り、後に司徒王允の養女となります。
東漢末期、朝廷の政治が不安定になり、各地が戦争が続き、董卓は権利を掌握しました。暴虐の限りを尽くす董卓の政権を覆すため、
義父王允の頼みを受け、貂蝉は連環計(連環美人計)という謀を演じます。 貂蝉はひそかに呂布に秋波を送るとともに、
董卓にも媚を売り思わせぶりな様子をとり、二人の間でうまく董卓と呂布の仲を引き離し、終には呂布が董卓を殺し、
董卓専権の暗黒時代が終わり、混乱していた朝廷はやっと安定の兆しが見え始めました。


【貂蝉拝月】とは、貂蝉は絶世の美貌を持ち「閉月」とい伝説が伝えられています。
一説には、貂蝉は夜中に月を拝すると、月に住む嫦娥は貂の美貌に及ばないことを恥じ、
あわただしく雲の中に隠れてしまったと言われます。貂嬋は公園で月を拝すると、忽然として軽い風が吹き、
吹き寄せられた雲に明るい月が遮られました。王允はこの様子を見て、「私の娘は月より美しく、月が雲の中に隠れてしまう」
と自分の娘の美しさを褒め称えたとも言われます。人々はだんだん「閉月」という言葉で貂蝉の美貌を形容する様になりました。




王昭君(おう しょうくん・漢)

【昭君出塞】とは、前漢の元帝の時代、匈奴の呼韓邪単于が、漢の女性を閼氏(匈奴の言葉で君主の妻)にしたいと、
元帝に依頼したところ、王昭君が選ばれた。『西京雑記』によると、元帝は匈奴へ贈る女性として後宮の中の一番醜い女性を選ぶため、
宮女の似顔絵帳の中の一番醜い女性を選ぶことにした。宮女たちはそれぞれ自分の似顔絵を美しく描いてもらうため、
似顔絵師の毛延寿に賄賂を贈っていたが、ただ一人賄賂を贈らなかった王昭君はわざと一番醜く描かれていたため、
王昭君が匈奴への嫁として選ばれた(王昭君が絶世の美女でありながら、それまで全く元帝の目に留まることがなかったのも、
毛延寿がわざと醜く描いた似顔絵のせいであった)。皇帝に別れを告げるための式で王昭君を初めて見た元帝は、
王昭君の美しさに仰天したが、この段階になって王昭君を匈奴へ贈る約束を撤回すれば匈奴との関係が悪化することは
明らかだったため撤回はできず、元帝は不本意ながらも王昭君をしぶしぶ送り出した。その後の調査で
、宮女たちから多額の賄賂を取り立て、賄賂を出さなかった王昭君をわざと醜く描いていた毛延寿の不正が発覚し、
激怒した元帝は毛延寿を斬首刑に処したという。