品名:澄泥硯(陶硯)蘇軾
品番:TUO-46
  サイズ:16cmx21cm
厚さ3cm 重さ:1100g
価格:¥6.500「税込」現品限り
中国・山西省


澄泥硯(ちょうでいけん)は端渓硯、歙州硯、洮河緑石硯とともに「4大名硯」といわれ、晋・唐代から始まり、唐代の柳公権は「常に研を評するには青洲を第一としている」と評価し、宋代の米ブツは「硯史」の中で、澄泥硯について「堅実で、玉の如し」と賛美してます。 原料は黄河の粘土で、宋代の記録によると、布地を河中に沈めて、溜まった泥を清水で濾して、できた煙のような土を乾燥させ、黄丹団を加えて揉み、叩いて堅くさせ、型に入れて成形し、竹べらや、小刀で彫刻を施し、窯に入れ、長時間かけ、低温で焼成するそうです。長いこと製作は途絶えていましたが、山西省は、長い歴史は有るが、めぼしい産業がなく、省としては中国の中でも下から一,二を争う貧しい地域。 しかし元来(明・清時代は全国を制覇した)は、山西商人「晋商」の末裔、開放政策後、山西省政府も全面バックアップして、各方面で町興しが始まっている。

熙寧七年(一〇七四)杭州での任期が終わった蘇軾は自ら志願して密州の知事になった。密州は現在の青島のあたりだが、
同じ山東の済南に弟の蘇轍が書記として仕えていた


蘇軾の詞

密州時代を代表する作品は、中秋の名月を歌った詞「水調歌頭」である。

明月几時有
把酒問青天


明月よ、いつから空にかかっているのか、盃を手にしながらこう青天に問う、天井の宮殿では、今宵は何年の中秋にあたるのだろうか