拓本(たくほん) 中国では一般には 拓片「タービエン」といいます



石や金属に彫られた古碑、板碑、記念碑、墓碑、文字や模様を、原形のまま紙に写し取ったもの、およびその技法。
活字、印章、版画などは、写し取ったとき、文字を正面向きとするために左文字につくられており、反対になるが、拓本は原物に紙を当て、その上から墨を打って凹凸の文様を写し出すので、文字はそのまま正面に原寸大で写し出され、刻み込んだ部分は白く、彫り残した部分は黒くなる。文字の点画や線の微妙な部分まで原寸大で見ることができるため、考古学や、碑文・鐘銘などの文字文章を研究する金石学の分野では、拓本は不可欠の重要な資料であり方法といえます。


 拓本は剪装(せんそう)巻子本で、ところで、剪装本の「剪」は「きる」という意味である。拓本の形態には剪装本と全套(ぜんとう)本がある。拓本はその対象となるものが碑であれば、どんなに大きな碑であっても、碑全体に紙を継ぎ合わせて貼り、全面に墨をつける。この大きな1枚の拓本を全套本という。例えば唐の武后聖暦2年(699)に建てられた、則天武后の撰書になる「昇仙太子碑」の全套本の大きさは、かの有名な飛白(ひはく)の題額を含め縦約4m、幅約1.6mに及ぶ。これを壁に掛けて、あるいは床に広げて見るといっても容易なことではない。

 拓本は何の為に採られ、使われるのであろうか。先ずは鑑賞である。
 鑑賞につぐものとして、書の手習いとしての手本である。やはり、書を習うには名筆家の書を手元に置いて、臨書することは古来から行われてきたことである。
 しかし、拓本は鑑賞、手本として用いられるだけではない。金石文は史書の欠を補う歴史資料として重要な役割を果たしている。また、文字研究の資料としても貴重な存在である。中国では、唐、宋時代になると、古代の青銅器に刻まれた金文、秦の篆書、漢の隷書などに目を向け、研究の対象とするようになった。紙が出現する以前、文字は竹簡、木簡、絹に書かれるか、石に刻まれるかした。今でこそ竹簡、木簡、絹に書かれた帛書(はくしょ)が多く発見されているが、唐、宋時代には文字資料といえば石刻文字に頼らざるを得ず、拓本を必要とした。
 
拓本の採り方
      
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