中国文物真贋道中膝栗毛  法政大学名誉教授  犬飼和雄

       十 虎噬虎膝栗毛

 それとはじめて顔を見合わせたとき、これは珍しくも面白いものだと、その大きな金色の目にひきこまれていると、かたわらにいた佳川文乃緒がいかにも自信ありげに言った。

「このナマズ、金の目をしています。なんて珍しいものでしょう」
「そうかナマズか」
とそのときまでただ面白いものだとみていただけに、一瞬、佳川の言葉に幻惑された。その顔はどちらかといえば扁平で、口が横に大きかった。野で、私はいわずもがなのことを口にした。
「金目ナマズ、いままでみたこともないですよ」
「それほどめずらしいものですか」
と佳川がその金目をのぞきこんだ。私もつられてのぞきこんだが、それでも佳川ほどにはその金目にのみこまれなかった。楕円形の金耳に気がついたのだ。遅まきに矢したが、私は佳川にいった。
「このナマズには金耳がありますよ」
「金耳のナマズですね、こんな珍しいナマズが中国にはいるのですね」
と佳川はいった。私の言葉がまったく通じないようだった。

「それにですね」
と私は声を張り上げた。
「見てください、足が四本ついています」
「足のあるナマズですか」
と佳川はまだナマズにとりつかれていたが、突然気がついたように言い出した。
「これには、細かくて長いシッポがついていますね。それも先が丸くなっています。これは先生のおっしゃったようなナマズではありませんわ。先生ごらんになってください、これが口に何かくわえています。だから口が大きく見え、先生はナマズどと見あやまられたのです。それにしてもこれは、犬か、それとも、鹿でしょうか」

 私はいつの間にかナマズだといったのは私だということにされてしまったが、相手が佳川文乃緒では抗議してもぬかに釘だということがわかっていたのでそれはそのままにしておくことにした。
 それにしても、私もすでにそれが犬ではなく鹿を、というのはその動物には体に班点があったので、口にくわえているのに気がついていた。ついでようやく、これはみたことがあるぞと、『中国文物精華大辞典・青銅巻』の中の一枚の写真がぼんやりと浮かんできた。ちなみに、この美術書には青銅器の写真が一三四二枚ものせられている。そのほとんどが二千年以上昔のものである。いかに中国青銅器が種々様々で、莫大な数が残存しているかわかるであろう。

 それにしてもこれを金目ナマズだとは、よくもナマズと見えたものだ、これだけ見まちがえる青銅動物がいるとはそうだ、この金目ナマズをこの真贋論作品の最終章の主人公にしよう、いくら私でも、これ以上見間違えするのはいないはずだからと、私は首をふった。
 それにしても、かねがねそうおもってはいたが、これほどの金目ナマズを、少なくとも私と佳川文乃緒の目を、一瞬だとしても、いや、惑わさせるような青銅器を仕入れてくるとは、私はこの作品の最後へ来て、保坂さんの奥さんの朱薇さんに脱帽した。

 これは朱薇さんが北京に帰った時、仕入れてきてくれたものだった。しかも、この金目ナマズ、私の財布であがなうことができたのである。もっともそれは、売り手がチャイナ・ウォッチング店のにせもの論者の保坂さんだったからで、ここであらためていうまでもなく、この金目ナマズ、保坂さんは、朱薇さんも、いや誰でもにせものだと信じているからである。それにこの
金目ナマズを見て、あの写真を思い浮かべる中国人も日本人もほとんどいないはずである。ですから、この金目ナマズの真贋を論ぜられるのは、たとえ一瞬にしてもナマズとはみたが、それはさておき、私以外にはいないはずである。

 そのためには、これを研究所にもちかえって、写真のものと比較検討しなければならないことはいうまでもない。
 私は今までのいきがかりじょう、佳川文乃緒をさそった。

「これが本物かどうか、これから研究所に戻って吟味しょうと思うのですが、手伝ってもらえますか」
「えっ、これだけ珍しいもの、本物もにせものもないのではありませんか」
と佳川が行くのをしぶった。
「それはそうですが、でも、この動物の正体は知りたいでしょう。研究所へ戻ればはっきりわかります」
「そうでしょうか」
と佳川はまだしぶっていたが、私が金目ナマズを新聞紙にくるんで立ち上がると、佳川文乃緒も立ち上がった。

 私は研究所に戻ると、『中国文化精華大辞典・青銅巻』をもちだし、金目ナマズの写真を開いた。それは私の金目ナマズではなく、ということは、私の金目ナマズもなまずではないということだったが、虎だった。しかも目は金色ではなかった。鹿を口にくわえた虎で、目は金色ではなかったが、体全体に金色の文様が輝いていた。体の全部はイチョウの葉の金文様、後部は金波文様、全体が精巧で迫力があったが、耳は金色ではなかった。

 それには、?嵌虎噬鹿屏風挿座という名がついていた。青銅虎に金を?嵌したもので、置物として作られたものである。大きさは私の金目虎よりひとまわり大きかった。一九七七年に河北平山三?の墳墓から出土したもので、戦国時代のものである。戦国時代になると、金を?嵌した青銅器が多くつくられるようになった。

 私は写真の虎噬鹿と私の金目虎噬鹿をみくらべ、ちょっと失望しながら佳川文乃緒にいった。
「この写真の虎の方がずっと精巧で、それに比べると、私の金目とらはつくりがそまつでだいぶ見劣りがします。やっぱりにせものかな」
「でも、先生、その本物の虎は、目も耳も金色ではありません」
と佳川がいいだした。
「それはそうですよ」
「だったらにせものではないのではありませんか」
「にせものじゃない」
佳川がいまだかつて自分から我が中国文化研究所の中国文物がにせものではない、つまり、本物だといったことがなかったので、私は佳川の童女のような顔に目をやった。やっぱり頼りなかったが、でも、このにせものではない論は無視できないものがあった。
「どうしてにせものではないといえるのですか」
と私は立場が逆転させられたのはわかっていたが、そういわざるをえなかった。

「どちらも鹿をくわえた虎ですが、先生の虎は、目も耳も金色ですし、体の金文様もちがいます。それに作りがずっと粗野です。つまり、似てはいますが、一目見て、ちがう虎だとわかるのです。ですから、この写真の虎のにせものではないと思うのです。にせものなら、目や耳を金色にしたりはしないでしょう。もっと似せてつくるのではありませんか」
「そうですね」
と私は腕を組んだ。
「そういわれればそうです。にせものならこれほど金を使ったりはしないな。金目や金耳にする必要は考えられない」
「先生、この金目や金耳は本物の金なのですか」
と佳川が信じられないというようにいった。
「マジメにそう思っていられるのですか。金塊の虎でしたら、先生にはとうていお買いにはなれないのではないですか」
「それはそうですが、そうですね、この金目や金耳が金であるかどうか確かめられたら、この金目虎がそれだけで本物かどうなのかわかりますね」
と私はいいながら、もう一つの真贋鑑定法があるのを発見した。それは不確認鑑定法である。

「そうですよ。にせものに金を使ったりはしませんから本物の金かどうかたしかめられたらいいと思いますわ」
 私は佳川が首にかけている金の首輪に目をやりながら言った。
「佳川さんのその首にかけている首輪は金ですか」
「もちろんそうです」
と佳川が奮然といった。
「どうして金だとわかるのです」
「えっ」
と佳川は途惑ったようにあわてていいたした。
「これには二四金という字が書いてあります」
「そんな字を信用しているのですか。ご自分で金だと確認された事はあるのですか」
「そんな事をする人がいるなど聞いた事もありません」
「それでも本物の金だと信じている、そうですね。ということは、本物であるかどうか確認しないという事が、本物だという事でしょう」
「そういわれればそうです」
「ということは、この金目金耳虎噬鹿、その目と耳、どうみても金です、それを確認しなければ、その佳川さんの金首輪と同じで金です。ということは、この虎は本物の中国文物だということになります」

「そういわれればそうですが、それよりも先生、これは明らかに写真の虎とはちがいます。ということは、にせものではなく本物だということです」
「そうです、本物です。なんとも高価で貴重な?嵌虎噬鹿を信じられないほど安く手に入れたのです。これだけは保坂さんや朱薇さんにいってはだめですよ」
と私は佳川に口止めをした。

「どんな風に話をしても、あのお二人は、これが本物だなど信じません。誰も信じないと思います。私も先生のおそばにいるからで、そうでなかったら、これが本物など、これが金だなど、とうていしんじられなかったはずです。信じられるようになったのは、先生のおかげでございます」
と佳川文乃緒は頭を下げた。

 さすがに、私はその言葉にうなずけなかったが、私の?嵌虎噬鹿がその金の目を燦然と光らせ、私の本物論にその金耳をかたむけているのをみると、佳川文乃緒の言葉はまんざらではなかった。

 そんな時、まんざらでない私は、金の目とちがう視線をかんじ、ふっとまわりの陳列棚に目をやった。
 そこの住人の我が中国文化研究所の加彩女官俑が、真鍮チベット両頭剣が、青花薬研が、青銅魚尊が、均紅瓶が、青磁八仙人文扁壺が、粉彩獅子文大瓶が、青銅鏡が、道仏儒香炉が、石鬼が、青釉魚文瓶が、粉彩花文壺が、本物としてとりあげられないのはどうしてだと、ひしめきながら、うらめしげに私をにらんでいた。